2013年12月28日

なんてことはない


昨夜、ぶらりと初めての店に行ってみた。
そこは、以前は、おすし屋さんだった。
市川海老蔵と同じ年という、市川海老蔵のような整った美しい顔の、美しい肌をした男性が、
カウンター越しに客の話相手にもなってくれる。
別にスナックとか、いかがわしい店とか、そういう類の店ではない。
女性客もいて、常連客が多そうだった。

で、わたしは、思った。
わたしは、若くて、男前が苦手だ。
なんだか、居心地が悪い。

おそらく、今までの人生のなかで、男前という人種に縁がなかったからだろうと思われる。
袖をちょこっと、するぐらいなら、あるかも知れないが、本格的にわたしの人生に登場することは決してない。
なぜか?

わたしに容姿コンプレックスがあるからだ。
あれ? コンプレックス部門は、学業、学力、頭脳コンプレックスだったんじゃないの?
いや、わたしのコンプレックスは多岐にわたっていて、バラティに富んでいる。
ノーテンキで、楽天家なのだが、コンプレックスもあれこれ抱えていて、無意識にバランスをとっているようだ。

まあ、いい。
特に男性の美形には、からっきし縁がない。
前の会社に、美形が、複数いた。
ヒゲの渋い、味のある人もいた。
わたしは、その中の特に美形男子、O君を「TOM]とこころの中で呼んでいた。

なんてことはない。
リカちゃん人形の、リカちゃんのボーイフレンドのTOMに似ていた。
長身でスタイルも抜群。
おそらく、TOMを生身の人間にすると、こんなかんじかなあと、思って、
自分のつけたネーミングに、悦に入っていた。

彼は、若い頃は、カジュアルな服装で、TOMっぽかった。
次第になんだか、会社で偉くなったようで、スーツを着るようになった。
スーツは、これまた、めちゃめちゃキマッていた。
が、わたしは、カジュアルな格好のTOMのほうが好きだった。

その、かっこいいTOMとは、何度も接したことはあるが(仕事で)
どうも、わたしとは、わたしが透明人間役なのか、実態の人間としての、接点がない。
重なる部分は、すすーっと通り抜けてしまう。
べつに、見かけがどうとか、コンプレックスがああだとか、一方通行の好意の裏返しがこうとかではなく、
感性や中身に、わたしとの接点がない。
不思議なほどに。

なので、いくらカッコよくても、ああ、そうなんだ・・・と、
わたしは、自分との好みの上でちょっと距離感を感じた。
わたしは、外側だけを猛烈に愛するタイプではないようだ。
容姿フェチではない。

もう一人の長身和風しょうゆ顔・男前氏も、そうだった。
(ゲゲゲの女房に出ていた、漫画家アシスタント役の男前俳優みたいなかんじ)
すーっとしていすぎで、クセも味もない。ひっかかりもない。
なんか、違う。
わたしが、へんなのだろう。

わたしは屈折しているので、
学生時代にあまり頑張ってお勉強をしてこなかった、ただただ美しいばかりの、感性だけの人は、
魅力を感じないようだ。
(学力コンプレックスが、まだ克服できていないのだろう)
するっと、すり抜けて通り抜けてしまう。

少々ブサイクでも、自分なりに努力している人のほうが、高得点をあげてしまう。
ただし、ブサイクで、屈折していて、でもちょっと偉くなって、へんに「オレ様」タイプは困る。
それなら、男前で、困ったタイプのほうが、まだマシか。


男前にもいろいろある。
1)単に男前な人。それがすべて。
2)男前で性格がいい人。そりゃモテる。
3)男前で、性格が悪い人。一部の人に、モテる。
4)男前で、なんでも万能な人。雲の上。
5)男前で、それ以外はぜんぜん、だめな人。ダメンズ。稼ぎのいい女性に養ってもらえる可能性あり。


男前が苦手・・・
苦手分野は、先ずは、敵の研究から、ということで、男前を分析してみよう・・・
と思ったが、今さら、どうこうする気もないので、分析解析の手が緩む。

わたしにとって、男前は、嫌いではないが、神経を分散させられる(気が散る)ので、邪魔かも?
男前でないほうが、なぜか、気楽。


年配部門の男前、そういう分野は、けっこう面白い。
男前というだけでは、世の中、渡れないことを十二分に体験して、年をとっておられるはずなので。
元・男前と、現在・男前がいる。
現在・男前は、深い味わいで、魅力的である。
元・男前は、すごく素敵な場合と、逆の場合がある。

あ、女性もそうだと思う。
元・美人と、現在・美人。
今までの長い人生が姿に出ている。
こころも、顔に出ている。
顔のパーツや美醜という範疇では、収まらない。
元・ブサイクの巻き返しは、年配部門では、追い込み追い越しあり。

・・・・・

話が、どんどん逸れている。というより、焦点そのものが、どこかに行っている。

要は、わたしは、若いキレイな男前は、苦手だってことだ。

その後、二次会で行った店が、年配の妖怪屋敷だったので、ほっと安心した。
リタイア直前・直後、60歳前後、あるいは、もっと上の、
ご自分に酔っているような、(本当にお酒で酔っている)痛々しい男性もちらほらおられたが、
やはり、自分と似たような痛々しい、よれよれした世代のほうが、落ち着くと感じた次第だ。

でも、わたしは、「おっさん化」は、決して、しておりません。  


Posted by kiko at 14:26Comments(0)

2013年07月27日

簡単には変えてはならない


春のウグイスも若鳥の頃は、中途半端な鳴声。それが毎日鳴く訓練すれば親と同じように聞えてくる。夏、長い地下生活からやっと解放され地上に這い出てきた蝉。今、煩いほどに鳴いている。人間にとっては同じ鳴声に聞えるが、彼らに取っては同じ種類の蝉でもそれぞれ鳴き方が違う。人間が違うように個性や特徴があるらしい。それを聞き別けるには人間では難しいようです。

今、街中では蝉の鳴き声と一緒にウグイス嬢の鳴き声が聞こえてくる。このウグイス嬢、太陽の陽射しが浴びながら車から上半身を窓から出して手を振る姿は箱載りと言う危険な業。危険承知の上で、笑顔でも真剣な表情。こちらは6年振りの鳴声で蝉のようなものである。決まり文句の言葉も何処も似たようなもの。蝉と同じだ。今日明日は喉を枯らした声が市郊外から中心部に移動する。

蝉の寿命を調べると1週間と言うが、実際はそれ以上生きているらしいと言われている。かたや選挙は17日間。蝉の鳴き声のように各地域に散らばり、鳴声だけを競えば蝉よりも煩く聞えるウグイス嬢の悲鳴にも似ている。どの候補も真剣な表情。最後になると何を言っているのか分らないくらい聞き難い。最悪は候補者の濁声と蝉の鳴き声が重なるとたまったものではない。

選挙期間中、市民とした口約束した言葉は重い。簡単には変えてはならない。それは6年間の市民とした口約束でもある。それは契約書のない口約束でもある。だから簡単に破ることだって出来る。公認された党から出たのに、選挙前になると当選見込みが小さいからと言って渡り鳥のような候補者もいる。6年前はあれほど頑張っていた議員が選挙になると突然、目の色を変え姿も変える。6年前に投票した人から見れば裏切り者である。それが出来なければ辞職することだ。

その選挙の鳴声も明日で終る。しかし蝉の鳴き声は選挙が終わっても聞こえてくる。蝉だけ声なら許せるが。今日も小さい庭の樹木に無数の蝉が鳴いている。彼らは裏切らない。それはそれで煩いが夏を感じる蝉の鳴声です。  


Posted by kiko at 10:51